史跡案内 - History -

龍馬が駆けた河原町⑧古高俊太郎邸跡碑

四条小橋上る薪炭商。桝屋喜右衛門と名乗った古高俊太郎の正体(勤王志士)が新撰組に知れたことが、元治元年(1864)6月5日の「池田屋騒動」の発端となった。それより先、同士の宮部鼎蔵の下僕が役人に捕らえられたが、うまくのがれて「桝屋」へ逃げ込んだ。これを尾行していた新撰組は、6月5日朝、桝屋を襲い始めていた武器弾薬とともに、勤王志士の決起の連判状も押収した。古高俊太郎は壬生屯所で厳しい拷問を受けた。この連判状の記述によると、「祇園祭の夜、御所を焼き討ちし、その騒動によってクーデターを行う」ことまで露見する。新撰組はこの中のめぼしい隠れ集会所を八方手を尽くして捜索。その夜ついに三条小橋西詰「池田屋」を突き止めて襲撃。実力派の志士の多数が死亡した。新撰組は一躍名を成すこととなる。古高俊太郎は、一ヶ月後の蛤御門の変の際、逃亡を防ぐため六角獄舎で処刑されている。