史跡案内 - History -

河原町界隈の史跡案内⑫四条大橋

祇園、八坂神社への参詣の道。祇園橋とも呼ばれていた。永治2年(1142)の架橋ともいわれるが、古くから氏子の負担奉仕(勧進)によって作られてきた板橋があり、度々架橋流出した記録が残っている。江戸時代も幕府管轄ではなかった。安政3年(1856)祇園社の氏子の寄付で、42本の石柱を立て欄干付き板橋が完成したが17年後に破損、明治6年(1873)石柱の鉄橋が作られる。鉄橋は珍しく「くろがね橋」と評判を集めた。多額の費用を取り戻すため、通行料を取ったので「銭取り橋」と悪評をかった。明治45年(1912)四条通の拡張、市電の開通で新たな橋へ。そして現在、東詰には「南座」が建ち、西詰には夏に「納涼床」が並ぶ。