史跡案内 - History -

龍馬が駆けた河原町⑦土佐藩邸跡碑

土佐藩の京屋敷。数々の維新の志士がこの藩から生まれた。龍馬の仲介した「薩長同盟」から5ヶ月後、慶応3年(1867)6月、「薩土盟約」によって、後藤象二郎は、藩主山内容堂を説得し、徳川慶喜に大政奉還を進言した。しかし「公武合体」の路線は強く、薩長の「武力倒幕」を成功させることとなり、翌年の「鳥羽伏見の戦い」では、薩長に促される形で参戦していくことになる。藩邸の北には、土佐稲荷、岬神社がある。龍馬や藩士だけでなく、広く人々からの信仰が厚く、今も変わらない。龍馬は晩年藩邸を中心に酢屋から近江屋へ移っている。明治4年にこの土地は民有地となり、昭和2年立誠小学校校地となっているが、現在は高倉小学校の第二教育施設として使用されている。