ぐるりウォーク河原町
河原町界隈の史跡案内 案内MAP
池田屋跡【池田屋跡】MAP-1
池田屋は長州藩の定宿だった旅籠。土方隊と分かれた近藤隊が池田屋に到着したのは午後10時すぎだったとか。「御用改めでござる」近藤の一喝で、修羅場の幕が開けた。現在はパチンコ店。
酢屋【酢屋】MAP-2
坂本龍馬寓居跡
高瀬川沿いに各藩邸が立ち並び、伏見・大阪との連絡にも便利なことから、龍馬は酢屋に身を寄せることになる。龍馬の活動を理解しバックアップした酢屋嘉兵衛。京に彼のような人がいたことも、歴史を動かす一因だったろう。2階表西側に住まう龍馬は「才谷さん」と呼ばれ、姉宛の手紙にも「酢屋」に投宿しているとある。
近江屋跡【近江屋跡】MAP-3
坂本龍馬・中岡慎太郎
遭難の地

二条城での大政奉還後、京は無政府的様相を呈していた。龍馬はいつ佐幕派に襲われるか知れないため、万一に備え土佐藩邸により近い「近江屋」に身を寄せた。11月15日の夜、中岡と龍馬は刺客に命を奪われた。現在の河原町商店街、京阪交通社のあたりである。
中岡慎太郎寓居跡【中岡慎太郎寓居跡】MAP-4
あぶらとり紙「象」は、中岡慎太郎が京都の情勢を探りつつ隠れ住んだと言われる土佐藩御用達の書店「菊屋」があった場所。
【幾松】桂小五郎・幾松寓居跡 MAP-5
料理旅館「幾松」は元長州藩控え屋敷。
桂小五郎(後の木戸孝允)の恋人幾松(後の婦人・木戸松子)の名を拝し、今なお当時の姿を留めている。新撰組御用改めの際、近藤とも渡り合ったと伝えられる幾松の部屋が残っている。
旅館幾松幾松
■幾松の部屋は、通常は夜の会席客のみ見ることができる。
鴨川【鴨川】MAP-6
京都の中心部をゆったりと流れる鴨川。三条大橋は東海道の終点である。冬には百合鴎(ゆりかもめ)が川面にあそび、夏にはカップル達に河原が占拠される。
高瀬川【高瀬川・木屋町通】
MAP-7
高瀬川は、慶長年間、当時の豪商・角倉了以が物資輸送のために鴨川の水を引いて開いた運河。この川で用いる舟を高瀬舟といった。二条から五条にかけて7つの船入り(荷物の積みおろしをするための船だまり)があり、川筋に並んだ問屋は繁栄をきわめた。そのうち、起点・二条の一之船入跡は国の史跡として保存されている。毎年9月23日に地元の人たちによって「高瀬川舟まつり」が開かれている。
志る幸【志る幸】MAP-8
枡屋跡
祇園祭の宵山、新撰組が枡屋を急襲。前川邸での拷問の末、主人喜右衛門の正体が古高俊太郎と判明。勤王派の陰謀が明らかに。このとき勤王派浪士は旅籠「池田屋」にて今後の策を練っていた。
京都東山霊山【霊山護国神社】
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
坂本龍馬、木戸孝道ほか長州・薩摩・土佐の勤王志士の墓が多数ある。
■最寄駅/京阪電車四条駅より徒歩約15分。
JR京都駅からは市バス(206系統)東山安井下車徒歩約5分
寺田屋【寺田屋】
坂本龍馬の常宿。ほとんど往時のままの姿をとどめ、現在も民宿として営業中。見学のみも可。
■最寄駅/京阪電車中書島駅より徒歩約5分。
JR京都駅からは市バス(81系統)で京橋下車徒歩約1分
壬生寺【壬生寺】八木邸 旧前川邸
言わずと知れた新撰組の屯所があったところ。壬生寺では毎年7月16日に「新撰組隊士等慰霊供養祭」が行われる。
■最寄駅/市バス壬生寺道
京都市中京区坊城仏光寺北入ル
二条城【二条城】
薩長同盟から1年9ヶ月後、二条城二の丸御殿大広間にて大政奉還は成された。あっけない幕切れであった。
■最寄駅/地下鉄東西線二条城前駅
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
西本願寺【西本願寺】
隊士が増えて壬生の屯所が手狭になり、元治2年3月に屯所を移転。使用されたのは、北集会所や太鼓楼など。
■最寄駅/JR京都駅より徒歩約15分。又は市バス75系統で4分、西本願寺前下車
京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル
 
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