史跡案内 - History -

龍馬が駆けた河原町⑥坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋)

河原町通(当時は三間半)蛸薬師を少し下る西側。龍馬の周辺に新撰組や見廻り組の影がちらつき、半年ほど住んだ「酢屋」から土佐藩邸により近い「近江屋新助(醤油商)」に移ってまだ10日程のことだった。慶応3年(1867)11月15日母屋二階において陸援隊隊長中岡慎太郎とともに暗殺された。襲ったのは京都見廻組佐々木唯三郎ら7名ほどであったといわれている。龍馬はほぼ即死、中岡は数日後に息をひきとった。32歳と29歳であった。襲撃の様子には諸説あり、暗殺の真犯人は他にいるのではないか、今後も誰もが推理することになるだろう。幕府の「大政奉還」の一ヶ月後のことである。龍馬は薩長同盟(慶応2年)を結ばせ、倒幕後の国のあり方まで「議会」を含め憲法制定までの道を指し(「八策」)示していた。

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地(近江屋)